余白のブログ

考えたり、思い出したり

ママ友いない問題と社会的支援

もともと人と話すことが得意ではない。

それでも、男性とか自分と異なる年代の人と話すのはそんなに苦ではない。

 

最も苦手なのは、同年代の女性だ。

何を話していいのか、わからない。

なので、子供ができてから「ママ友とかいるの?」と聞かれるのが、地味につらい。

 

 

妊娠中の母親学級に行っても、出産で入院しても、児童館に行っても、その場だけの会話だけで、そこから付き合いが始まるとか無いし、みんなどうやってんの?と思う。

 

大学時代は、メンタルヘルスを齧っていたので、産後や育児では家族だけでなく、母親仲間などの社会的支援が大切なのことはわかってる。

わかってるが故に、その存在を持たない自分が、なんだか悲しい人間に思えてくる。なにより、子供に申し訳ないような気がしてくる。

 

先日も職場の食事会で、既婚子持ちの男性上司と同僚から「ママ友は?」と聞かれた。

ごまかしてしまいたくなる痛い質問だったが、「いないし、よく知らない人とどうやって話したらいいか、わからない」と正直に答えた。

すると上司と同僚は笑って「自分も同じで、知らない人とは、なかなか話せないよね」と言った。

 

おそらく彼らの妻たちは、うまくやっているのだとは思うが、私の話を否定や批判することなく、「そうだよね」と受け入れてくれたことが、ありがたかった。

 

地域の母親学級や児童館に行くと「この場で、上手いことママ友を作っていってね!支えあってね!」の圧力を感じることがある。

もちろんいる方がいいだろうが、いないことを責めたり、作ることを強要することはしないで、と思う。

 

役所的には、ママ友づくり促進=社会的支援という図式になっているのかもしれないし、仕事をしている気にはなると思う。

しかし、そんなことよりも、母親それぞれが抱える状況に対して、「そうなんですね」とさらっと受け入れてくれるほうが、私はずっとありがたい。

きちんと人を弔う

職場の知り合いが、癌で亡くなったので葬式に参列した。52歳だから、若くして亡くなったと言ってもいいと思う。

 

半年前に肺癌が判明して、その時はもう末期だったそうだ。それでも、結構最近まで仕事を続けていたので、そんなに身体が悪いとは知らず、訃報を耳にした時は大変驚いた。

 

人を引っ張っていくタイプの人で、同じ部署で勤務していた時は、飲みに誘ってくれたり、私を含む下っ端社員をまとめてキャンプに連れ出してくれたこともある。

実家が裕福らしく、趣味も車、ゴルフ、スキーにバンド活動と、金のかかるものが多かった。子供達も優秀で、本人は自覚していなかったのかもしれないが、自慢話のようなものを何度か聞いたことがある。

 

そんな感じだから、仕事では上昇志向が強く、パワフルな仕事のやり方ゆえに、人に求めるレベルも高く、直属の部下は軒並み「追い込みがきつい」とこぼしていた。

本格的にそりが合わない部下は「本気で死んで欲しいと思ってる」とまで言った人もいた。

仲間も多いが、敵も多かったかもしれない。

 

これといったものを持たない私からすれば、いろいろな意味で「上位の存在」であり、上位の存在達が持つ強固な自信や、成功を重ねてきた自らの価値観を押し付けられるような圧迫感を感じることがあって、世話になったとは思うが、どちらかと言えば少し苦手なところがある人だった。

 

通夜は長い行列ができていたそうだが、葬式は平日だったこともあり、それほど混雑していなかった。

葬式は淡々と進み、出棺の準備をするからとロビーで待たされた。

 

葬式によって、棺の中を開けたり開けなかったりする。

おそらく家族の意向で決まるのだろうが、開けるパターンの時は死人を、しかも知っている人の死に顔を目の当たりにする、ということが怖くて緊張する。

 

今回は、棺を開けるパターンだった。

怖いが、私はいい歳した大人なので、神妙な顔をして、少しずつ近づいて、少しだけ顔を見て、花を供え、手を合わせる。

目を閉じた知り合いの顔は、思ったよりも痩せていなかったが、なんだか作り物のようで、全然知らない人に見えた。顔を見たら泣くかと思ったが、涙は出なかった。

 

遠巻きに棺を見ていると、棺の横でずっと手を合わせいる女性がいた。

違う部署で働く先輩で、とてもとても優しく親切で、「仏の」とか「天使の」という枕詞が付くような人だ。

彼女は喪主の許しを得て、故人の顔を少し触り、何かを話しかけて、花を供える参列者がいなくなるまでずっと、棺の側で手を合わせ続けていた。

 

これまで参列してきた葬式の中で、泣く人はたくさんいたが、彼女の姿は特別に感じられた。

うまく言葉にできないが、きちんとした死に対する悲しみを突き付けられたような気がした。

 

なんとも言えない気持ちを抱えながら、家人に預けていた子供に会いに行くと、ここ最近では聞いたことのない大声で泣き叫んでいた。

人生は余白ばかり

出産してから、寝られなくなった。

といっても、赤ん坊の夜泣きがひどいとかそういうことではなく、夜中に勝手に目が覚めて、そこから寝られなくなる。

 

寝ようとして目を瞑るが、眠りに落ちないので、いろいろ考える。

考えているうちに、自分には何にもない、すっからかんな人間に思えてきた。

 

・仕事はしてるが、特に有能なわけではない。せいぜいワードとエクセルが使えるくらいで、仕事できるふりをしているだけ。

・海外旅行が好きだったが、手配も現地でのコミュニケーションも全部友人にやってもらってた。

・友人はいないわけではないが、数少ないうえに、年々疎遠になってる。かといって、新しい人間関係が築けているわけでもない。

・家事や育児も、どう考えても手際が悪い。が、それをPDCAするとか無いから、手際の悪さが維持されている。

・これといった趣味もなく、情熱を注ぐ何かがあるわけでもない。

・そもそも、人としての魅力がない。

 

精神衛生が悪くなる程に自分を責めたり、追い込むつもりはないが、アラフォーと呼ばれる年齢の割には、何にも無い気がしてきた。

 

けれども、そこそこの年数生きてきたのだから、思い出や主張があるはずだ、というか何かあって欲しい。

就活での自己分析が苦手で、当時はやっつけで済ませてしまったが、それをやり直す感じに近い。

ここに考えてることや、思い出したことを書いていけば、自分の何かが浮かび上がって、人生の余白を多少なりとも埋められるのでははないかと期待している。