余白のブログ

考えたり、思い出したり

ママ友いない問題と社会的支援

もともと人と話すことが得意ではない。

それでも、男性とか自分と異なる年代の人と話すのはそんなに苦ではない。

 

最も苦手なのは、同年代の女性だ。

何を話していいのか、わからない。

なので、子供ができてから「ママ友とかいるの?」と聞かれるのが、地味につらい。

 

 

妊娠中の母親学級に行っても、出産で入院しても、児童館に行っても、その場だけの会話だけで、そこから付き合いが始まるとか無いし、みんなどうやってんの?と思う。

 

大学時代は、メンタルヘルスを齧っていたので、産後や育児では家族だけでなく、母親仲間などの社会的支援が大切なのことはわかってる。

わかってるが故に、その存在を持たない自分が、なんだか悲しい人間に思えてくる。なにより、子供に申し訳ないような気がしてくる。

 

先日も職場の食事会で、既婚子持ちの男性上司と同僚から「ママ友は?」と聞かれた。

ごまかしてしまいたくなる痛い質問だったが、「いないし、よく知らない人とどうやって話したらいいか、わからない」と正直に答えた。

すると上司と同僚は笑って「自分も同じで、知らない人とは、なかなか話せないよね」と言った。

 

おそらく彼らの妻たちは、うまくやっているのだとは思うが、私の話を否定や批判することなく、「そうだよね」と受け入れてくれたことが、ありがたかった。

 

地域の母親学級や児童館に行くと「この場で、上手いことママ友を作っていってね!支えあってね!」の圧力を感じることがある。

もちろんいる方がいいだろうが、いないことを責めたり、作ることを強要することはしないで、と思う。

 

役所的には、ママ友づくり促進=社会的支援という図式になっているのかもしれないし、仕事をしている気にはなると思う。

しかし、そんなことよりも、母親それぞれが抱える状況に対して、「そうなんですね」とさらっと受け入れてくれるほうが、私はずっとありがたい。