余白のブログ

考えたり、思い出したり

きちんと人を弔う

職場の知り合いが、癌で亡くなったので葬式に参列した。52歳だから、若くして亡くなったと言ってもいいと思う。

 

半年前に肺癌が判明して、その時はもう末期だったそうだ。それでも、結構最近まで仕事を続けていたので、そんなに身体が悪いとは知らず、訃報を耳にした時は大変驚いた。

 

人を引っ張っていくタイプの人で、同じ部署で勤務していた時は、飲みに誘ってくれたり、私を含む下っ端社員をまとめてキャンプに連れ出してくれたこともある。

実家が裕福らしく、趣味も車、ゴルフ、スキーにバンド活動と、金のかかるものが多かった。子供達も優秀で、本人は自覚していなかったのかもしれないが、自慢話のようなものを何度か聞いたことがある。

 

そんな感じだから、仕事では上昇志向が強く、パワフルな仕事のやり方ゆえに、人に求めるレベルも高く、直属の部下は軒並み「追い込みがきつい」とこぼしていた。

本格的にそりが合わない部下は「本気で死んで欲しいと思ってる」とまで言った人もいた。

仲間も多いが、敵も多かったかもしれない。

 

これといったものを持たない私からすれば、いろいろな意味で「上位の存在」であり、上位の存在達が持つ強固な自信や、成功を重ねてきた自らの価値観を押し付けられるような圧迫感を感じることがあって、世話になったとは思うが、どちらかと言えば少し苦手なところがある人だった。

 

通夜は長い行列ができていたそうだが、葬式は平日だったこともあり、それほど混雑していなかった。

葬式は淡々と進み、出棺の準備をするからとロビーで待たされた。

 

葬式によって、棺の中を開けたり開けなかったりする。

おそらく家族の意向で決まるのだろうが、開けるパターンの時は死人を、しかも知っている人の死に顔を目の当たりにする、ということが怖くて緊張する。

 

今回は、棺を開けるパターンだった。

怖いが、私はいい歳した大人なので、神妙な顔をして、少しずつ近づいて、少しだけ顔を見て、花を供え、手を合わせる。

目を閉じた知り合いの顔は、思ったよりも痩せていなかったが、なんだか作り物のようで、全然知らない人に見えた。顔を見たら泣くかと思ったが、涙は出なかった。

 

遠巻きに棺を見ていると、棺の横でずっと手を合わせいる女性がいた。

違う部署で働く先輩で、とてもとても優しく親切で、「仏の」とか「天使の」という枕詞が付くような人だ。

彼女は喪主の許しを得て、故人の顔を少し触り、何かを話しかけて、花を供える参列者がいなくなるまでずっと、棺の側で手を合わせ続けていた。

 

これまで参列してきた葬式の中で、泣く人はたくさんいたが、彼女の姿は特別に感じられた。

うまく言葉にできないが、きちんとした死に対する悲しみを突き付けられたような気がした。

 

なんとも言えない気持ちを抱えながら、家人に預けていた子供に会いに行くと、ここ最近では聞いたことのない大声で泣き叫んでいた。