余白のブログ

考えたり、思い出したり

幸か不幸か

私が知っている中では、なかなかの波乱に見舞われ続けた知人がいる。

 

20年近く前に知り合った時、彼は恐妻家だった。

家に帰ると妻から、何かとヒステリックに責められた。

それなのに仲良し夫婦に見られたいのか、外出時は、いつも妻から手を繋いできた。

だから、周りからは「未だにラブラブなんですね〜」などと言われていた。

家ではケンカばかりで、ずっとセックスレスなんですよ、と彼は言いたかったが、黙ってやり過ごした。

 

数年後、その妻が病気になり、小学生の娘たちを残して亡くなった。

闘病中は、妻の両親に「娘が病気になったのはお前のせいだ」と詰られ、仕事中にも電話がかかってきた。

家に帰れば、妻と子供たちの食事の準備や家事をする。薬のせいで味覚が変わってしまった妻からは、食事がまずいと罵られられ、食器をひっくり返されることもあった。

 

それから入院したが、病の進行が早く、ほどなくして緩和ケアに入って最期を迎えた。

ある日、昼過ぎに病室を訪れると妻が泣いていた。

 

彼が来る前に、妻の両親が来ていたと言う。

妻は自分がもうすぐ死ぬのはわかっていたから、両親に「それほど残された時間はないから、そばで看病してもらえないか」と頼んだ。

しかし、両親は「自分たちの生活があるから、無理だ」と言って断った。

昔から、たびたび精神的に酷い仕打ちをしてくる両親だった。

それでも認められたくて、親の示す進路を進んできた。

両親が自分の夫のことを悪く言う時は、全面的に夫が悪いのだと思ってきた。

けれど、看病を断られた時に、やっと両親がおかしい人間なのだとわかった。

おかしい人間に、自分の人生が踏みにじられてきたのだと妻は言った。

その日以降、妻の両親とは絶縁して、電話番号も変え、葬式にも呼ばないと決めた。

 

亡くなる直前は妻も落ち着き、彼と娘たちだけで見送った。

最後は、本当の意味で夫婦になれたと思うから後悔はない、と彼は語っていた。

 

 

妻の亡きあと、父子家庭でうまくやっていたが、娘たちが思春期を迎えると、ネットにはまり、ネットアイドル的なことをしていた。

姉のほうが深くはまって、不登校になり、昼夜問わずネットをして、面識のない男性と連絡を取り続けた。ちやほやされるのが嬉しかった。

 

会話だけで済んでいたようだが、直接会って幾らかのお小遣いを貰うこともあったという。

彼はそんな娘を矯正すべく、ネット回線を切ったこともあったが、半狂乱で暴れ回られて、当時はケンカの毎日だった。

 

そんな中、彼には彼女ができた。

彼女は子供1人を抱えるシングルマザーで、前の夫のDVから逃れてきた過去があった。

思春期の姉妹のことを相談することもあったが、何より彼女といる時は、一瞬でも家庭のことを忘れて、癒されることができた。

 

彼は、彼女との再婚を視野に入れて、彼女とその子供の生活費を出したり、皆で住める家を探したりしていた。

そうやって再婚が具体的に進みそうになった頃、彼女から「あなたの子供たちの面倒は見きれないから、どこかに預けてきてからじゃないと、結婚できない」と言われた。

要は、私と一緒になるなら、娘たちを捨ててきて、ということだった。

 

彼には高齢だが元気な両親、娘たちから見れば祖父母、がいる。

一瞬、そこに預けてしまおうかとも思った。そうすれば、新しく人生を始められる気がした。

しかし、実際にはそんなことはできないので、彼女との再婚話は無かったことにした。

 

すると彼女は「私と子供の生活はどうなる」と言って、当面の生活費という名目で金銭を要求してきた。

当時の彼女はパートで働いていたから、確かに生活は大変だろうと思い、フルで働ける仕事が見つかるまでは、いくらかの金を渡すようにした。

しかし、半年経っても仕事が見つからず、要求は増すばかりで、本当に求職しているのかも怪しかった。

 

これ以上金は渡せないと彼は彼女と話し合おうとしたが、「私の人生をめちゃくちゃにしたくせに」「あんたの職場に、訴えてやる」などと喚かれて、なかなか関係を切ることができず、金銭の要求も続いていて、時にはボーナスのほとんどを渡すこともあった。

だが、しばらくして彼女のほうに新しい男ができたようで、なんとかフェードアウトするとこができた。

 

娘たちは、結局高校を中退してしまったが、フリーターをしている。

無意識のうちに、将来は結婚すればどうにかなると考えて、諦観している部分はあるのかもしれない。

 

ただ、彼女たちの人生は彼女たちの物なのだから、「世間から見たきちんとした人生」でなくてもいいのだ、と思えるようになった。

彼自身、これまで周りに気を遣って、心身をすり減らして生きてきたが、そんなこと損だなと思うようになった。

 

側から見れば不幸なことばかりで、娘たちは不安定な生活だし、そのことを不幸だと見る人もいるかもしれない。

 

でも、自分たちはそう思わない。

特別に幸せではないかもしれないが、ごはんが食べられて、寝られることもできる。何より元気でいられている。

それだけでいいのだと。